
2005年11月〜12月キューバ記紀
ボニータの職場訪問
ボニータの職場を訪問してみた。これまでにも何度か来たことがあるが、この日やってきたのは、実は仲直りのためだった。もう何日もボニータとは会ってなかった。しかたがないので、様子を見にきたのだった。入り口付近を行ったりきたりしてみる。少し離れて窓のあたりを覗いてみたりする。出てこないので、前の道路の角に座っていると、入り口から誰か一人出てきた。こちらからはブロックの隙間からズボンだけが見えた。はっと思い立ち上がると、ボニータがこちらを見て笑っているのが見えた。事情によりすぐにはあえて近づかない。そのまま振り向き振り向きしつつ立っていると、ボニータがこちらにやってきた。少しづつ挨拶をかわす。なんでうちに来ないんだ、待ってたのに。そんなことを話した。
オフィスに入れてくれた。他の社員一人一人に紹介してくれるので、それぞれとベシートを交わす。別の部署にも入ってみる。警備の人にとめられたので、ちょっと彼にトイレ貸して、とボニータが機転をきかし、入った。トイレに入ってすぐ出てきて、とボニータが言う。入って、すぐ折り返し、いかにもさっぱりしたという感じで出てみた。二人だけで妙に受ける。そこでも会う人会う人に紹介され、ベシートを交わす。さっきの警備の男ふたりが歩いてきたので、若い方の男にボニータが声をかける。さっきトイレ使ったの見たでしょ?。
一人の男がいた。彼は俺が一人でサンティアゴに初めてきたときからの知り合いだ。いつもチップをくれとうるさい。あいつは何にもチップをくれないケチなやつだ、と言っていたとボニータから数日前聞いたばかりだった。やあ、という感じで手を出してきたが、無視して他の社員たちと握手する。おまえ何を言った?ちゃんと聞いたぞ、と言ってやり外に出るとき、笑っている彼の顔だけが見えた。
時間は11時すぎで、まだ昼休みでもないのに、食事に行こうとボニータがいう。こういうときはもう1時間も待てないらしい。同僚の女性社員を一人連れていった。彼女はペンを手にしていた。一応仕事中という証拠か。近くのレストランに行き、海鮮料理などを食べた。日本と中国ってサンティアゴとハバナみたいなもの?、と同僚が訊く。どちらも国だから違うわよ、と俺にしっかり教育されたボニータがまず応える。キューバとメキシコみたいなもんだよ、近くにあるけど別の国だと俺が補足しておく。どの辺にあるの?とさらに同僚が尋ねる。ランチョンマットを元に説明する。手元を指して、ここがキューバで、ここがヨーロッパなら、と俺が言うと、ボニータが、あっちのほう!と勢いよく道路のほうを指差す。最後は、amorって日本語でどう書くの?という依頼に応じて、ナプキンに、愛、と書いてあげた。大きなカニの食べガラが残った。ここで私たちと食べたという記念に持って行かない? こういうことを言うときのボニータはやさしい。
彼女たちは、早く戻らなきゃと少し心配そうに職場に戻った。俺はまた来た道を引き返し、ボニータが仕事が終わって来てくれるまで、散策に時間をつぶした。そのあと聞いた話では、案の定、職場の上司に、どこに行ってたんだ、探してたんだぞと注意されたそうだ。ボニータは近々俺とハバナに行くために休暇を数日取る予定だったのだが、それも、休暇の許可は無いと思え、と念を押されたということだった。でも、大丈夫、また頼んでみるから、とボニータが楽観視していた通り、出発の前日、街の通りで偶然見かけた上司に口頭で許可をもらい、無事一緒にハバナに向かうことができた。
[2006年1月19日記]
ベシート
ベシートにもいろいろ作法があり、都合というものがある。
数日前に購入した箪笥の引き出しを調整しに、近所に住む売り手の男が子連れでやってきた。ボニータが彼らを出迎えたが、そのとき彼女は、まず子供に声をかけたあと、一瞬間を置いて、「今はこれで」とでも言うような感じで、笑いながら男には右手を差し出した。これを見ていて、俺は、ああ誰にでもベシートするものではないのだな、といまさらながらに思ったのだった。
子供たちは小さなころから挨拶としてしつけられていて、例えば遊びにやってきた従姉妹たちは、家に入るとすぐにそこに居合わせる人間たちにベシートして回る。当然俺にも同じように挨拶してくれるので、家族として認められていることが再確認できて、うれしい限りである。またプレゼントを渡したり、一緒に食事したりした知人は、おでこや頬に吸い付くようなベシートをくれて、感謝をしめしてくれる。よく通うティエンダのある店員はいつも両頬にベシートして笑顔で迎えてくれる。
一方俺もベシートされるのを待ってるだけではいけない、親愛の情を示すために自ら行動を起こすべきなのだろう、とは思っているが、そういった対人表現がもともと苦手なため、それが実際はなかなか難しい。それで躊躇しているうちにタイミングを逃し、少々気まずい雰囲気になることもある。また、家族や親戚などなら問題ないが、それ以外の人に対して、どの程度親しい人ならベシートすべきなのか、そうじゃないのか、そのあたりの臨機応変もまだよくわからない。
あるとき旧知のカサに一人で遊びに行き、そのカサの娘にボニータとの結婚の相談話を聞いてもらった。これまでは彼女にはベシートはしたことがなかったが、きょうは客ではないし、純粋に知り合いとして会話できたような気がしてうれしくなり、帰りに、ベシートしようと顔を近づけたところ、あまり乗り気でない彼女の表情が目に入った。そのときのショックが多少トラウマ気味ということもある。
結婚パーティーに来てくれた人がいた。その人にその後出会ったとき、不慣れなため躊躇してベシートせず、相手もその雰囲気を感じ取ったのか、ベシートして来ず、その後も会話を交わさないままで終わってしまった。またあるとき近くの町で、ある男連れの女性に会った。誰だったかと考えて、実は別の女性と勘違いした。今横にいる男は彼女の夫ではないと勘違いした。まずいところを見た気分になり、ベシートをしなかった。家に帰ってわかったことは、その女性はすぐ隣の家の奥さんだった。夫はそれまで近くで見たことが無かったので、気づかなかった。その女性二人とても似ているのであった。それ以来彼女にベシートするのはいまさらという感じになり、まだできていない。
大笑いしたことがあった。あるティエンダで買い物をしていたとき、入り口からある女性が入ってきて、俺のほうに直接向かってきた。知らない人だが、彼女が笑顔で「ベシート」とつぶやきながら正面からやってくるので、ボニータの知り合いだろうかと思い、彼女にベシートで応えるために近づいた。彼女は一瞬躊躇した表情をしながらも、歩みは止めず、俺の頬にさっと口づけたかと思うと、そのまま行き過ぎ、ちょうど俺の真後ろにいた店員のところに行ったのだった。店内のお客様爆笑。にやにや立ち尽くす俺。そういや彼女の視線は少々遠い地点を見ていたようだったが・・・。
事ほど左様にベシートは奥が深いということなのである。
[2006年1月19日記]
映画館の話
映画館の前は、通りから一段高くなっていて、そこにいつも何人かの男たちが座っている。停電のときには、従業員たちもみな中から出てきて、そこで一緒に過ごしている。そのいつも座っている常連に、口のきけない聾唖者の男がいた。彼はあとからやってきた客に対して、停電のため上映できないことを、そのつど伝えていた。
停電が復旧して、上映が始まることになった。彼が一番先頭で入場し、次に俺が入り、そのあとを女性従業員が追った。彼は席にはすぐつかず、スクリーン横に向かって直行した。そこに設置されている扇風機の電源をつけたのだった。従業員は当たり前のように微笑みながら見ている。「君はよく知ってるね」と話しかけたら、彼はうれしそうに笑った。でもその日は彼にとっていい日ではなかった。
彼はいつも一番前の席に座る。その横に、一人の男と、3人組みの男たちが、それぞれ座った。まず一人の男が、彼のすぐ横の席で、タバコを吸い始めた。煙がちょうど彼のほうに流れていく。彼がやめろとジェスチャーをし、手をかぶると、男はわざと彼の顔に向けて煙を吐いた。それは何度も続いた。彼はふてくされて寝てしまったようだった。
その二人の横では、3人組の男たちが、がやがやしゃべり始めた。それは映画の音声よりも目立つ程度だった。少し後方に座っていた従業員が注意を促すと、いったん静かになるが、またすぐに話はじめた。ロビーからも人がやってきて、彼らの前に立って直接注意をしたが、また同じような繰り返しだった。とても冷静に映画を見る状況ではなかった。映画が終わると彼らはすぐに席を立っていった。
エンドロールまで見ているのはいつも俺だけだ。従業員は早く片付けて家に帰りたいのだが、最低限の礼儀は知っており、近くには決してやってこない。少し遠めから口笛をならすが、それは聞こえないふりをする。最近はフィルムを早めに止める作戦に出てきた。映像が終わってしまっては席を立たざるを得ない。
あるセニョーラは、少し斜め前、俺の視線に入るか入らないかのところに立って、しばらく黙って待ったあと、もう辛抱しきれないといったふうに、首をかしげ、手足を少しばたばたさせながら、「ねえ、もう行きましょうよ」、と笑って言った。そういうふうに言われると、俺も、「うんうん、もうすぐ」と、やはり最後まで見て、気分よく席を立てる。「映画は最後まで見なきゃ。まだ音楽も映像も残ってるよ」と話しながら。
[2006年1月17日記]
カミオンの話
1、満員のグアグアやカミオンではスリに注意しろ、などという話をよく聞くし、家族からもよく言われていたが、これまで一度もその心配を感じたことはなかった。少なくとも俺がこれまで使ったグアグアやカミオンには、気のやさしい素朴な人ばかりだった。それは間違っていない。しかし敵は乗る前にいた。
ターミナルにカミオンが到着すると乗客が殺到する。俺たちも必死で走り、なんとか乗り口にたまっている集団においついた。俺はニーニョを抱いて、エルマーナは買い物袋を抱え息子を連れていた。取っ手をつかみ乗り込む際、殺到しつつも、ある程度譲りあいながら乗り込むものだが、このときは違っていた。順番の人間が乗り込む際にも、横から横からどんどんぶつかりながら男たちが駆け上がってきて、俺はニーニョを抱えていて、怖いぐらいに感じた。なんとか上がりこんだが、男たちをはねのけるため勢いがついたせいか、その衝撃でニーニョは泣き出してしまった。エルマーナもすぐあとから上がってきた。
その後から乗ってきたセニョーラがエルマーナが持っていたカバンを指差して何か言った。どうやらカバンのファスナーが開けっ放しになっているらしい。エルマーナが中を確認すると、カルネなどを入れた財布がなくなっていた。下で、何か怪しい男たちを見た、とセニョーラは言っていた。乗り込むために殺到して身動きができない無防備なときにやられたらしい。子供も連れていたし、荷物もたくさん抱えていたので仕方ないよ、次はもっと気をつけよう、と慰めあった。
数日後一人で街に出たとき、同じ場所に行ってみた。同じようにカミオンに向けて殺到し乗り込む人々の中に、妙な若い男が一人いた。乗り込むすぐ手前にいるのだが、自分は乗り込まず、その周囲の人たちの胴体、持ち物などをちらちらと視線だけ動かして、確認しているような男が。俺はその男の斜め後ろからじっくり見ていた。結局すべての客が乗りこんでも、彼は乗り込まず、さっとカミオンを離れ、歩いていき、路地の角にいた仲間の男たち二人と話をはじめた。なるほどそういうことかと思った。帰って家族にこのことを話した。
2、空席はもうほとんどなかった。すぐうしろから乗ってきたおばあさんに、そこ空いてますよ、と見つけた空席を教えた。でもその空席の横にいた人が、いやそこはこれから乗ってくる人のために取ってあるの、と言ったので、何言ってるの、反対側も少し空いてるからもっとつめて、とたしなめて、遠慮しているおばあさんを案内して、座らせた。たぶんその様子を見ていてくれたのだろう、後ろの方に座っていた人たち何人もが、ここ空いてるから早く座りなさい、と俺を呼んで、近くの空席に座らせてくれた。
[2006年1月16日記]
交通手段
相変わらず充実した旅で。ビアスールは俺も11月に利用したのが、あの「冷房を切ってもサムーイ」という状況が全然ないやつだったので、これは何かあるなと睨んでいたのですが、あれが中国製だったらうれしいな。今後はあの寒さに耐えなくてすむ。あ、でも少し寒いくらいのほうが、ボニータが足を俺の服の中に入れてきたりするので、まあそれもまたよしとするか。ところで、この中国製のバスのような新しい流れが、普段の交通手段にも広がっていってほしいです。いま正直ボニータの給与は上に書いてある最低レベル。通勤に必要な交通手段は、格安のグアグアやカミオンでは足らず(時間、容量的に)、少々高い乗り合いタクシーなどを利用せざるを得ないことが多く、結果、給与より交通費のほうが高くついています。先日このことにふと気づき、ボニータに指摘したところ、うんうんと笑ってました。あと支給品の話が出ていましたが、今回うちのパパには労働本部からテレビが支給されていました。
[2006年1月7日記]
カエルとの日々
家の中にはいろんなビーチョ(虫、小動物)がいる。蚊には毎夜悩まされる。手足とくに足首などに集中する。しかも俺だけに集中し、ほかの家族には特にあいさつ無しのようだ。俺の刺され跡を見た家族からはいつも「なにそれどうしたの」と不思議そうに言われる。昨晩のあの大格闘をなぜ知らないのかと憤りながらも、怒りをこらえ「蚊だよ」とクールに答えるワシ。夏ごろには消灯後真っ暗な中を、緑の小さな光だけがくっきり浮かんで漂っている。蛍だ。これは唯一歓迎すべきビーチョかも。小さなトカゲ(ヤモリ?よくわからん)などはもう常連。壁のすきまから現れ、ちょろちょろすばやく動く。たまに白ネズミも顔を出す。こいつは天井のあたりを駆け回っている。
極めつけはカエル。ちょっと油断すると扇風機や冷蔵庫の上に留まっていたりする。しかもこぶし大ぐらいのかなり大きなやつだ。これを見つけるとボニータが「つかまえて外に出して!」という。じっと奴を見つめる。でかい。どっしりとした肌の感触。ちょっと気持ち悪い。さっと捕まえられるようなヤワな相手ではない。「no
puedo (できないよ〜)」とつい言ってしまう。そうこうしているうちに奴はどこかへ飛んでいってしまい、あわせてボニータが俺に抱く「頼りがい」も同時に消え去っていくのであった。
先日、ベッドでニーニョを含め3人で団欒しているとき、頭上の柱に奴の姿が。あっと思いボニータと顔を見合わせた瞬間、奴は飛び跳ねて落下し、無事ニーニョの顔面に着陸成功。そこからさらに別の壁に一っとび。ニーニョは何が起きたかわからずニタニタ笑っている。壁にはりついている奴を見て俺は思った。これはいける。結構小さい。ボニータはニーニョを気遣っていてまだ気づいていない。そそくさと近づき、すばやく右手を出すと、すんなり手の平に奴はおさまった。ぬんめりとした感触。どこへ行った?と聞くボニータに俺は「yo
tengo!(ここに敵を捕獲した!)」と勝ち誇って右手をかかげた。目を輝かせるボニータ。このときの男としての役割を果たした充実感を俺は一生忘れないだろう。念のため、隣の部屋でのんきにテレビを見ていたパパとエルマーノの男性陣にもわざわざ見せつけた上で、扉からポイと外に放した。またいつの日か奴は精進して戻ってくるであろう。ボニータの俺を見る目がこの日から変わったような気がしないわけでもない。
[2005年12月22日記]
蚊取り線香
蚊取り線香、実は今回はじめて持っていったんですよ。前回もひどかったんで。で、初日にボニータに説明して渡しておいたんですが、結局使わずじまい。タンスの上に置かれたままでした。自分がほとんど問題ないので、さほど使おうという気にならなかったみたいで。俺もさされるのがもう当たり前のようになってきてもいて。自分だけのために使うのもどうにも気がひけて。まず火をどうやってつければいいか(笑)。マッチ借りないといけないし。ニーニョに煙がじゃまかなとか。結構マスオさん的位置にいるな俺。我が家ができたらもう少しエラソウにできる。
[2005年12月22日記]
inmigracionの写真を撮ってはいけません。
カメラを持って街で写真を撮るのが最近ますます苦手になってきた。どうにも自分の性には合わない感じがある。周りの人の目もひどく気になる。そういうわけでカメラはかばんにしまったままだったが、今回久々に使ってみた。最初は人目を避けるため夜遅く11時過ぎに街へ出て、目についた場所を写していった。しかし人通りがなくなるのを待って撮るのでなかなか大変だ。しかも夜薄暗いので被写体自体がよく見えない。そこで翌日今度は昼間にも敢行した。前日の経験もあったので、かなり楽になり、周りの目もあまり気にせず撮れた。大体近所のめぼしいものは撮り終わった。さてどうしようか。
当時、ボニータのためにヨーグルト(yogur)を買って帰るのが日課になっていた。ただヨーグルトはなかなか売ってない。ティエンダを一つ一つあたり、2軒だけ置いてあるところを見つけていた。しかしこの日そのうちの中心街にある1軒は売り切れで置いてなかった。では少し遠いがもう1軒のinmigracion近くにできたティエンダに行くしかあるまい。途中にある壁画も撮っておきたかった。とことこ歩いた。日差しが暑い。Tシャツの袖を肩までめくる。壁画を経てinmigracionについた。外観を撮ろうと思い、カメラを取り上げたところで玄関先にいた男がちらとこちらを見て、しかし何も言わず中に入っていった。ちょっと微妙な何かをそのとき感じたが、かまわずシャッターをきった。そそくさとすばやく方向を変え、ティエンダ方向に足を戻した。ヨーグルトを買わねばならない。
数歩歩いたところで、後ろから男の呼ぶ声がした。タクシーの誘いか、または写真を1枚とってくれとかいう輩では、と思い無視して歩いた。すると男は追いついて俺の腕に触れ、「俺はポリシアだ」と言った。身分証明書を見せろというと素直にポケットからcarneを出して見せてくれた。「ここは写真を撮っちゃいけないんだ」と彼は言った。「そんなのまったく情報がないよ。何も知らなかった」と俺は少しまくしたてながら、渋々彼についてinmigracionまで戻った。執務室で俺を担当官に引き渡した警官はすぐ室内を出ていこうとした。「俺が撮る前に知らせろ」と彼の後姿に向けて俺は怒鳴った。彼は少し驚いたようにこちらを振り返ったが黙って出て行った。
担当官とのやりとりになった。まずパスポートを見せるよう言われた。あとから考えると、カサに置いてあるとでも言ったほうがよかったかもしれないが、そのとき買い物のためポケットに実際持っていたこともあり、ついすぐに出してしまった。メモする担当官。次にカサの名刺を提示。ちょうどこのときカサに泊まっていて助かった。ほかに訊かれたこと。いつサンティアゴに来たか、いつ戻るか、ビアスールで来たのか、一人かグループか、学生か観光客か、日本での仕事は何か、VISAは持っているか(カサに置いてあったのでそれを伝えるとこれはそれで済んだ)等々。
一通り尋問が終わりかけたころ、こちらから訊いた。「これ消さないといけない?」「si。ちょっとカメラ見せて」。写真を見せる。「これデジタル?」「うん」。「ここで撮った写真はそれ一枚だけ?」「そう。ほかはこれとか」と俺はその前にあったルシートの写真を見せた。つい「これは俺のソブリノ」と口をすべらしてしまった。「それはどこ?」「サンルイス」「そこには君はよく通うの?」「うん」「サンルイスのどこ?」「そこまで知らない。とにかくサンルイス」。あまり詳しく言うとまずいと思いとぼけた。「この子のママはなんと言う名前?」。そこまで訊いてくるかと思いつつ、ファーストネームだけなら構わないだろうと思い本当の名前を告げた。案の定、さらに下の名前も訊いてきたがこれもそこまでは知らないととぼけた。話はそこで終わったが、もしかしたら単に、自分が知っている人かもしれないと思い、世間話的に質問しただけかもしれない(実はこの担当官は以前俺がサンルイスに関する手続きについて質問しにきたときに、出てきて答えてくれた人だった)。
「じゃ消して」「no
quiero(笑)」「消さないといけないよ」「わかった。消すよ。でもその前に一つ質問があります」「なに?」「これはなんという法律で決まっていることですか?」「法律はないんだ」「なにそれ。でもダメだってどういうこと?じゃ誰が決めたの?」「私たちだ」「あーそれじゃほかの人たちは全然分からないよ。観光客はもっとわからないね」。担当官はそれももっともだという風に笑って、「そうだね。でもダメなんだ」と言った。俺もかなり言いたいことを言ったので、じゃ消すよ、と操作を見せながら、その写真を消去した。「これでよし」と担当官は言った。
実は後ろの壁にフィデルとチェが一緒にいる写真が飾ってあって、それがずっと尋問中気になっていた。「それもやはり撮っちゃダメ?」「ダメだね(笑)」。「とてもステキな写真だよ」と俺が言うと、近くに図書館(ビブロテカ)があるからそこに行けばいろいろ写真を見せてもらえるよ、と教えてくれた。最後にもう一つ質問してみた。「ほかに撮っちゃだめなところってあるの?」「ない」「ここだけ?」「ここだけだ」「あーこんなの初めてだ。疲れた。とても大変だよ」と俺が椅子にへたりこみながら言うと、「うん、もう大丈夫だから。心配しないで」と俺の肩を叩いて言ってくれた。最後は、ありがとう、じゃあねと挨拶して俺は外に出た。ボニータとの約束の時間には間に合いそうにない。急いでヨーグルトを買わなきゃ。心配するかもしれないと思い、こういうことがあったということはボニータには伝えなかった。
[2005年12月20日記]
ボニータに捧ぐ
ボニータにはどんなことでも話せる。どんなところも見せられる。何も気取る必要がない。素直に甘えることができる(気持ち悪いって言うな)。自分のダメなところも、弱いところも、すべて隠さなくて済む。もちろんボニータも強く言うことがある。でもその言葉には温かみがある。気の許せる相手だからこそ言う、という信頼がある。弱いところを見せても「そんなの気にしないわ。大したことないじゃない」という愛情がある。いつもは明るく気が強い姉御肌のボニータ。でもふとした時に見せる、ぽつんと頼りなげにうつむく小さな一人の女の子の姿を俺は知っている。普段は気丈にこらえている心が不安で折れそうな瞬間を素直に隠すことなく俺には見せてくれる。こういうとき特に彼女の愛を感じる。自分の中に湧き上がってくる彼女への愛を感じる。ボニータと出会えて本当によかった。
「好きな人の前では本当のことを言おう。好きな人の前ではいっぱい恥をかこう。」(早川義夫)
[2005年12月20日記]
ボニータに関する2稿(日本語とぬいぐるみ)
1、ボニータには日本語本として、以前ぐらんでさんから教えてもらった『スペイン語による日本語会話―もし、日本語で話せれば・・・』を渡していました。今回これを使って二人で少し遊びました。挨拶などのフレーズがスペイン語と日本語とで対比されて書かれてあります。ボニータがこの本を見ながら、まず日本語部分を読みます。大体うまく読めてますが、少しおかしい場合は俺が正しく発音してみせて、修正します。次に俺がそれに対応するスペイン語表現を考えて言います。間違っている場合は、ボニータが本に書いてある正しい単語を教えてくれます。このようにして、二人とも一緒に学習でき、とても楽しめます。日本語読みの発音がローマ字で書かれてあるんですが、問題は「じゃ」「じゅ」「じょ」などですね。この本では確か「dsya、dsyu、dsyo」みたいになってます。でもこれではボニータは読めず、俺が発音を教えると、自分で「ya、yu、yo」と書き直してました。ではなぜこの本が妙な表記にしてるかというと、「や、ゆ、よ」と区別するためです。別の日本語入門本『日本語入門 はじめのいっぽ スペイン語版』(これもぐらんでさんからの紹介だったか)では、「じゃ、じゅ、じょ」は「ja、ju、jo」と表記しています。しかしこれでも「は、ふ、ほ」と読んでしまうのではと心配になります。結論としては、すべての発音がそのままローマ字読みで一致して片付けられるわけではなく、どこかで一つ「こういうものだ」という転換(決め付け)が必要、ということなんでしょう。がんばれボニータ。
もし、日本語で話せれば・・・
「http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4321724066/qid=1134958396/sr=1-30/ref=sr_1_0_30/250-7304718-1189801
はじめのいっぽ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4883191273/qid=1134959116/sr=1-7/ref=sr_1_10_7/250-7304718-1189801
2、ハバナに一緒に来て、ボニータが買ったもの。トラのぬいぐるみ。頭をたたくと、「グワーグワーグワー」と3回うなり、その間、両眼がビームのように緑に光ります。カサではポンポン頭をたたいてニタニタ喜んでます。こういう人なんです。もう一つハバナ・ビエハの路上で見つけて買ってしまったもの。「rosacolis」という小鳥のつがい。小さな籠に入ってます。木屑のような餌もセットで買いました。名前はpepeとpepinaと名づけました。カサではせっせと餌を与えてました。水もあげてみたの、と目をきらきらさせています。俺は旅先でそんなもん買うなよと思うんですが、かまわず買ってしまうんです。両手にこんな荷物いっぱいかかえて一人でサンティアゴまで帰るんです。そういう人なんです。
[2005年12月19日記]
渡航時のお金をめぐるあれこれ
1、前回メキシコのクバーナ航空カウンターでのチェックイン時に、税金を請求されました。でも熟知していたワシは、いやこの航空券にはすでに含まれているから確認しる、と言って事なきをえました。担当者はまだ新米さんのようで、他の先輩から教えてもらっていました。あぶないあぶない。
2、マスターカードの11月利用明細の中に思い当たらないのが1件あり。早速カード会社に問い合わせたところ、今回カナダで一泊したホテルに支払われたものでした。日付もちょうど合ってます。特に何も使っておらず、チェックアウトもちゃんと終わらせたのに。ただし、12月7日に返金されているとのことで、ほっとしました。チェックイン時にカードの提示を求められるので、それでこういうミスも起きるわけですわ。だからこれまで見せるのがいやで、「カードは持ってない。現金もそんなにない。ほかは何も使わないから」で済ませてきたんですが(それを許してくれるいいホテルなんです)。
3、ハバナ市内ベダードあたりから空港へ向かうタクシーで、運転手が15cucでどう?と持ちかけます。空港から市内だともっと高い(今回は20cuc)のでおいそれと話にのりそうですが、熟知していた俺は「いやメーターがあるんだからそれにしよう」とそっけない返事。着いてみると12cuc。なんか申し訳ないような気もしましたが、運転手は最後までふてくされずに俺たちを送り出してくれました。
4、サンティアゴのティエンダの中に、VISA・マスターが使えるところと、使えないところとがありました(使えないところはトランスカードなどは使える)。はじめはどういう違いかわからず、1軒1軒訊いてまわったんですが、終わりのほうでわかってきて、お店の人にも確認して納得しました。キューバのティエンダの種類(会社)には主なもので3つあり、panamericanaと、TRD
caribeと、Cubalseと。このうちpanamericanaはVISA・マスターが扱えるが、残り2種では使えない(これは絶対ではなく、大半の傾向と理解してください。例えばプラサ・デ・マルテのティエンダはcubalseですがマスター使えました。時期にもよるかも)。ただしpanamericanaでマスターを使うと、11%の手数料が上乗せされます。これはいつも使う前にお店の人から説明がありました。さらにpanamericanaでは他2種より商品の値段も少し高いです。例えばパナソニックの同じコンポが、前者では395.70cuc、後者では381.20cucと、4%近く高い値段がついてました。
[2005年12月19日記]
まずひとつ訂正。上で「プラサ・デ・マルテのcubalseでマスター使えた」と書いたのは間違いでした。マスターはやはり使えずトランスカードを使ったのでした。つまりやはりCubalse系ではVISA・マスターはこの時期使えなかったということだと思います。で、このときのレシートを見て、「11%の手数料」がかかってないので(実はトランスカード、cucからの引き落としだから当たり前)panamericanaだけがかかると思い込んでしまったのですが、cubalseなどで以前使えたときはどうだったかな?
[2005年12月20日記]
戻りました。
まいど。今回ボニータとは大喧嘩を一度、小喧嘩を二度しましたが(もうあきれてるでしょ)、そこからの復帰が、これまでとは違い、お互いの信頼感を伴って行うことができたので、あとを引きずる問題にはならず、後半は特に親密に楽しく過ごせました。お互いの過去の恋愛歴などもぶっちゃけながら詳しく語り合いましたよ。あの夜は楽しかったなあ。またハバナなどで見聞できた話を聞かせてください。今回の滞在中で、ようやく活用形の全体像と、あ、ここでは接続法を使うところだな、というのが、実際に会話しながら自然に気づくようになりました。まだ結果通知こないんですがどうなってるんでしょうか。パソコン持込結果も楽しみにしています。
[2005年12月18日記]
現地両替レート
今回滞在中に確認したサンティアゴ各行での両替レート。12月13日のみハバナあり。かなり違っていたので今びっくり。同時期11月〜12月のハバナでのレートを確認された方いれば情報ポルファボール。
●日本円
末尾カッコ内はトランスカードへの入金の場合。
11月18日(BFI)133.616
(129.567276)
11月29日(BFI) 133.593 (未確認)
11月29日(BICSA)
134.01562
12月1日(BFI) 134.707 (130.625449)
12月6日(BFI) 135.945
(131.825459)
12月8日(BICSA) 135.48375
12月13日(ハバナBFI)
124.75250
●ユーロ、カナダドル、メヒコペソ
11月29日(BFI)
ユーロ1.05484、カナダドル1.31457
11月29日(BICSA)
ユーロ1.05027、カナダドル1.31619
11月29日(BANDEC) ユーロ1.05、カナダドル1.30
12月1日(BFI)
ユーロ1.04738、カナダドル1.31299
12月3日(CADECA)
ユーロ1.0461、カナダドル1.3003、メヒコ13.0071
12月6日(BFI)
ユーロ1.04800、カナダドル1.30196
12月7日(BICSA) ユーロ1.04289、カナダドル1.30708
12月8日(BICSA)
ユーロ1.04680、カナダドル1.30359
12月9日(BPA) ユーロ1.05738、カナダドル1.28883
12月13日(ハバナBFI)
ユーロ1.06205、カナダドル1.29623、メヒコ13.28051
12月13日(空港CADECA)ユーロ1.0620、カナダドル1.2962、メヒコ13.2805
[2005年12月17日記]
トランスカード口座入金時のレート
そうなんです。今回、両替しにいって、窓口の人にレートをいろいろ訊いていたら教えてくれたので、助かりました。すぐに現金がいる場合は使えませんが、余裕があれば、いったんトランスカードに入金して、二日後にカデカにでも行っておろせば、それだけで、今回の場合例えば10万円分だと、20〜30cuc多く受け取れます。ついでに、例えばBFIの銀行口座を持てたとして、そこに(両替の形で)入金した場合はどうか、と訊いたところ、それは通常のレートになるからトランスカードのほうが得だ、という答えももらいました。
[2005年12月18日記]
順調リサイクル
俺はいつも一人で考え込むたちなので、それがまたボニータやその家族たちにはあまりいい印象を与えていないようでした(つまり悪循環)。今回エルマーナが俺に言いました。「深刻な(機嫌の悪い、悩んだ)顔をしていると、周りの人たちがあなたに何かしてあげたくても、しづらくなるのよ。もっと元気だして笑って」。「でもボニータもそうじゃないか」と俺はすぐ言い返しましたが(それがあかんちゅうの)、でも確かに言うとおり。これまでは、「何か問題が起きる」→「喧嘩する」→「ほかに楽しいことがあっても心底楽しめない」→「考え込む」→「仲は復旧せずさらにどつぼにはまる」、といった悪循環リサイクルだったような気がします。今回かなり全体的に好転しましたので、「うまくいっている」→「多少問題が起きてもさほど大きな問題にはならない」→「楽しいことを正面から楽しめる」→「さらにうまくいく」、という順調リサイクルに入った、と勝手に宣言させていただきます。もし何か問題があっても、楽しめることは一緒に楽しんで、そしてそのことが当の問題もいつしか解決してくれる、というぐらいの気持ちでいいのかな、と少し感じています(そう簡単にガラっとは変われないけどね)。キューバ人はその場の今を楽しむ、とよく言われたりしますが、何かその意味が少し分かってきたような気もします。Emiliaさんが不安だったように、彼のほうもEmiliaさんと離れてくらしていて、いろいろと大変だったのではと思います。もし若干問題や齟齬があったとしても、多少多めに見てあげて、それで前向きに楽しむことを考えたらどうかなと思います。
[2005年12月17日記]
新ラテンアメリカ国際映画祭
12月はちょうど新ラテンアメリカ国際映画祭の時期。ハバナでは一日だけの滞在だったので映画は見れませんでしたが、ホテル・ナシオナルでごったがえす映画祭関係の人たちを見ました(くやしいので無料配布されている小冊子だけ入手)。YARAでは長い行列ができていました。
http://www.habanafilmfestival.com/
サンティアゴでもこれに連携する興行が行われていました。映画館はvictoriano
garzon通りにあるcine capitolioにて(以前よく営業していたプラサ・デ・マルテにあるcine
rialtoは今回、電気トラブルにより休業との張り紙がしてありました)。11月28日から12月5日がプレ興行、12月6日から16日が本興行。全日、ラテンアメリカ産の作品が上映されました。通常は1作品2ペソですが、6日初日は無料で、いつもはいない招待客も数名いて、映画上映の前に趣旨説明のようなプレゼンテーションがありました。というわけで今回見た映画の記録。観覧日、作品タイトル、カッコ内国名、評価、コメントの順。
11月29日 停電により上映中止
1時間他の客と映画館の前に座って待ったが復旧せず泣
11月30日 el
hombre de an~o (ブラジル)
△
まあまあ。陰では人を危めたり問題を起こしつつもごまかしながらマンオブザイヤーに祭り上げられる男の物語。
12月1日 matando
cabos (メキシコ)
◎
秀逸。面白い。ピエール瀧のような男の顔、アジアンテイストのボディーガードなどキャラ濃すぎ。また見たい。日本公開はまだしてない模様、残念。
http://www.matandocabos.com/
12月2日 como el gato y el
raton (コロンビア)
××
眠かった。シーンがせせこましく、入り込めず。貧しい住民たちの、しかしエネルギッシュでリアルな物語。どこの国だろうグアテマラとかかなと思っていたが今調べたらコロンビア産でした。
http://www.sdlatinofilm.com/idioma_0604.html
12月3日 caribe
(プエルトリコ) ×
二人の女性の間をいったりきたりする性愛と環境問題。なんちゅう安直な。
12月4日 un oso rojo
(アルゼンチン・フランス・スペイン)◎
主人公の男が渋い。ひりひりする。アクションシーンも良し。現場はアルゼンチンだろうか、さび付いた風景も良い。また見たい。これは日本公開してなさげ。
http://www.imdb.com/title/tt0318523/
12月5日 amores
perros
(メキシコ) ◎
面白い。結構長い映画だがまだ見ていたい感じだった。カールマルクス(またはサダムフセイン)のような風貌のオヤジが出てきてググっと入り込めた。あの存在感はすごい。工場廃屋のようなあの家、家具、街、ひとつひとつの風景がなんとも魅力的。またちゃんと見直したい。ガエル・ガルシア・ベルナルも出てます。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32777/
12月6日 caracazo
(ベネズエラ) △
いまいち見づらく入りこめなかった。あのチャベス政権に対するクーデター時を思わせる市民への銃撃シーンなどがあった。再度見直すと内容的にはいいかも。
12月7日 voces
inocentes
(メキシコ) ○
エルサルバドル内戦で軍隊による少年兵召集から逃げる子供たちのドラマ。たまらなく美しいシーンがいくつもある。小道を友人たちと自由に駆け出すシーン。軍隊から隠れるため各家の屋根に寝ころんでいるシーン。女の子とのキスシーン。来月日本公開される模様。邦題「イノセント・ボイス 12歳の戦場」。
http://www.innocent-voice.com/
12月8日 las mantenidas sin
suen~o
(アルゼンチン・スペイン) △
母親はドラッグ中毒。幼い娘は気丈に振舞う。周辺の家族たち。もっと言葉が分かればさらに入り込めたかも。
http://www.cinenacional.com/peliculas/index.php?pelicula=3101
[2005年12月17日記]
サンティアゴのインターネット状況
今回の滞在中(11月〜12月)での状況。通信状況はあまり良くなく、
途中、ハバナでシステムトラブルがあったとかで、休止状態の日も多かった(まあいつものことか)
・hotel
libertad
(プラサ・デ・マルテにあり)
ロビーにPCが2台置かれ、インターネットができるようになっていた。
カウンターでETECSAと共通のタルヘッタが売られている。値段は1時間分6cucで変化なし。
タルヘッタ販売・インターネット利用ともに24時間営業。日本語読み不可。
・ETECSA(パルケ・セスペデスにあり)
前回と変化なし。PC4台ほど。入り口側一番手前のPCで日本語が読めた。
タルヘッタは置いてなく、hotel libertadに行くよう言われる。全日9:00〜19:30営業。
ちなみにcubacel携帯電話用のタルヘッタ(10cucまたは20cuc分)も置いてある(他のETECSA店舗も同様。ボニータは知らなかった)。
・hotel
melia
前回と変化なし。PC2台。奥のPCで日本語読めた。30分4.5cuc。全日8:00〜20:00営業。
・megasen
変化なし。2階のあやしげな一室にPC6台ほど。1時間6cuc。
ここは実際に利用したことはないが、ETECSAと共通のタルヘッタかも。
日本語は読めないだろう、インストールCDが必要だがここにはない、といつもいる青年の答えだった。
[2005年12月17日記]
ボニータとの将来
俺もまだ永続的な同居ができていませんが、去年以降、今回の滞在まで現地で彼女と約8ヶ月一緒に過ごしてきました。
これまでは正直言って心の奥にさまざまな葛藤・不安を持っていましたが、今回彼女の愛情に、将来に向けての大きな確信が持てました。
彼女は俺を裏切らない、と思います。
別の言い方をすると、これまでは時間をかけて少しずつ深くお互いの愛情を確認し合ってきたのだ、と言えます。
その過程では大喧嘩・諍いもあったし、もう投げ出そうとしたことも何度もありましたが、でも今はそれが必要だったのだと断言できます。
必要なのは時間とお互いの気持ちを正直にぶつけ合うこと(そして理解しあうこと)でした。
そしてそれは俺にとってだけではなく、彼女にとっても必要なことだったのです。
俺の場合は、ニーニョの存在があったため、事前にあまり時間を置けず、
ひとまず彼女と婚姻し一緒にスタートを切ることを優先した、という事情もありました。
どこで、どのような形態で暮らしていくか、といったことについて話すことも、
これまではある種の恐れ(ここで決め付けてしまうことへの)があり、時期尚早という気もあり避けてきたんですが、
今回はかなり具体的に話し合いました。
まず俺が自分の基本的な考え(夫婦・家族についての具体的ヴィジョンや、現在および将来に向けての具体的な経済状況など)を話したところ、
彼女は率直に、素直に、それについて理解を示し同意してくれました。まずそのことに安堵しました。
この基本的姿勢さえ一致していれば、ほかのことは俺にとってはあまり大きな問題ではないからです。
俺は日本でもキューバでもかまわない、ただ社会の違いはあるから、それを承知の上で選ぶことができる、といった話もしました。
今は彼女のどうしたいかの回答を待っているところです。あせる必要はないと思っています。
気持ちが熟することのほうが大切だからです。
またさらに言えば、例えば一つの方法を選んだとしても、その後それに固執する必要もない、とも思っています。
夫婦生活・家族生活を続けていけば今後も当然いろんな問題が当たり前のように起きるでしょう。
万事なんら支障のない人生など誰にもあり得ません。
それらをひとつひとつ協力して解決していけばいいだけであって、その中で、方法を変えてみるというのもまた生きていく上で必要なことかもしれません。
一般的な話で言えば、夫婦が例えば半年同居、半年別居するのもアリだと思っています。
これに限らず、なにも夫婦だから必ずこうあらねばならないといった普遍的な決まりなど無く、
すべては個々の夫婦間、俺とボニータなら俺とボニータだけで決めれば基本的にいい問題なのです。
[2005年12月16日記]
カサ税金の件
カサの税金の件、いくつか確認しました。まずサンティアゴのカサ経営者による話。以前は一ヶ月100cucだったが、現在は133cucに値上がりした。この額はハバナを除く他地域共通のはず。毎月収入に関係なく払う必要あり。次にハバナのカサ経営者による話。税金は一年間トータルの収入によって変化する。収入が多いと税金も多くなる。だから一日だけの宿泊客の場合はもう台帳には記載しないようにしている。税金だけ増えて損だから。(実際俺は一日だけの宿泊だったので台帳記録無しでした・・・)
[2005年12月16日記]
郵便局メールと郵便代
1、郵便局メールの件、ハバナは時間がなく確認できませんでしたが、サンティアゴ、Aguilera通りにあるcorreosで見てきました。タルヘッタは1階の売店で4.5cuc(3時間分)売っていました。2階に続くあやしげな螺旋階段をいそいそと上り詰めると「servicio
especial」というあやしげな一室があり、その扉を押し開けると、PC6台が置いてありました。そこのセニョーラに尋ねたところ、学生は使えるが通常の観光客はここは使えない、ホテルかetecsaに行きなはれ、という答えでした。でもネットですでにアドレスを取得していたので、タルヘッタさえ買えれば使えるんじゃないかと知恵をめぐらし、試してみようと思ったんですが、まずそのネットで取得したアドレスとパスワードを思い出せなかったこと(あかんやん)、またシステムトラブルにより通った二日間ともPCが機能してなかったこと、などから実際にはタルヘッタも買わず、試せませんでした。
2、サンティアゴのcorreosで確認。ハガキは0.50ペソとなってました。書留はそれらしき記載が国内郵便欄にしかなかったのですが、entrega
especial 0.35ペソ、derecho de certificacion 0.90ペソ、のうちのどちらかでしょうか?
電報は1単語ごと0.85ペソ。ほかも見てきたので、別途一覧にまとめます。
[2005年12月16日記]
気候
確かに場所(地域・環境)によってかなり違いますね。今回11月から12月半ばまでいましたが、サンティアゴの都市部は日中は真夏状態です。カサの部屋で過ごすのは、夜なども過ごしやすい気温で、下着で寝てちょうどいいぐらいでした。田舎になると夜や朝方はかなり肌寒く、下着では無理です。俺はジャージ上下とかを着て寝たので風邪ひかずにすみました。ちなみに田舎は蚊が相変わらず夜間たくさんいました(刺されるのはほとんど俺だけ。ぽるけ?)。日中は外は陽があたると暑い感じです。ハバナは一日だけだったんですが、朝方だけちょっと寒かったですが、日中はTシャツですみました。ビーチはどうなんですかね。サンティアゴでは全然可能ですね。ハバナはちょっと肌寒い気がしますが。
[2005年12月16日記]
釣り
エルマーノが近所の川で釣りをして魚を獲ってきます。食べたんですが、なんという魚なのかさっぱりわからず。ある日、釣りに同行しました。川にもぐって水中銃で狙いますが、その日はまったく見つからず。もう11月水中は肌寒く、連れのアミーゴもエルマーノもブルブル震えながら、水中で探してました。生き帰りは田舎道、横に生えているサトウキビをナイフで刈ってくれて、かじりながら歩きました。後日、今は寒いからもう釣りは無理だ、ウエットスーツが必要だ、と言ってました。暖かい時期なら俺もチャレンジしてみたいです。
[2005年12月16日記]
クリスマス
いいなあみんな楽しそうだなあ。俺もまたすぐ行きたいなあ。今回も何度も家族や知人に「年末年始はここで過ごせないの?」って訊かれました。来年の大晦日までには家を建ててここで一緒に過ごしましょう、とボニータが言いました。グアンタナモ(及びバラコア)には次回滞在時にボニータと旅行する予定です。クリスマス(navidad)は結構普通に大きなお祝いとして認知されてると思います。もう先月からティエンダにはnavidad用の飾り付けがいろいろ売られていて、すでに各自居間などにツリーを飾ったりしています。俺も少し買って飾ってきました。去年のクリスマス時はハバナに滞在してたんですが、街角で「feliz
navidad!」と声を掛け合う婦人たちをよく見かけました。当日カサのテレビで見たホセ・フェリシアーノの歌「feliz
navidad」が印象深いです。ああうらやましい。
[2005年12月16日記]
銀行利子の件
利率を今回サンティアゴのBANDECとBPAとで見てきたんですが、両行共通で、例えば12ヶ月定期の場合MNで6%・CUCで4%、36ヶ月だとMNで8%・CUCで5・5%でした。関連して、BANCO
FINANCIEROに行った際、口座を作れるかと尋ねてみたところ、RESIDENCIA(居住権。学生は可能とのことでしたので、具体的にはカルネ所有とリンクと判断すればいいのでしょうか)が必要という回答でした。なので俺の場合は家族の口座を利用したほうがスムーズかと思い、ボニータとは少し話をしてみましたが、これまで預金するほどの収入があるわけではなく、いまいち縁遠い話のようでしたが(というかボニータは現在口座すら持ってないらしい)、今後も話し合っていくつもりです。日本円を原資とする場合は、為替手数料との兼ね合いがあるので、さらに検討が必要ですね。またFINANCIEROで確認したんですが、日本円からCUCに両替(あるいは預金)する場合、いったんトランスカードへの入金という形をとると、通常のその場での両替やその銀行の口座への預金より3%ほど率がいいんですよね。その辺との兼ね合いもあるし、今後どの程度CUCやペソを使うかということにもよるかもしれませんね。
[2005年12月16日記]
en santiago
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itiban uresii to itte naita. kazoku mo mina genki. tanosii taizai desu.
[2005年11月19日記]
toiuka inakaha tokuni asayuu samuisamui. cuba jin mo kekkou
kaze hiitemasu. santiago no matinakaha ima tyoudo ii kikou desu.
[2005年11月30日記]